岸田首相の「解散・不正」は結局「誰得」だったのか?

岸田首相は3月のウクライナ・キエフ訪問、5月のG7広島サミットなど外交で着実に得点を重ねてきたが、日本では間もなく増税議論が始まる。
多くの国会議員が急いで故郷に戻り、報道機関も臨戦態勢を整えた。 わずか数日で首相自らが火消しに駆けつけたが、結局勝者は誰だったのか。 自民党内には「やっぱり解散すべきだった」との声もある。
■嵐が突然静けさに変わった瞬間 6月15日午後1時すぎ、東京・永田町の衆院第2議員会館。 いつもは静かな会場が騒がしい。 廊下には大手メディアの政治記者らが激怒した表情でたむろし、各議員事務所には職員が頻繁に出入りする。 自民党の某若手議員の秘書は緊張した面持ちでこう語った。 「ここ2、3日、少しずつ強くなってきたと思っていた解散風が、一夜にして一気に“嵐”に変わった。 これが発令されれば、岸田文雄首相は衆議院を解散・総選挙を行うのではないかと推測されている。 午後3時過ぎ 総選挙日程も飛んだ。 廊下にいる知人の自民党議員に話をしようと近づいたら、「地元に帰らなければいけない」と言われた。 今後は後援会幹部らと相談するという。 元議会秘書が語った。 「解散すれば、その時点で代表も書記も失業することになる。 これまでは官邸のぶら下がり記者会見でも「解散は考えていない」と繰り返すだけだったが、「(解散が)適切なときは総合的に判断していく」と示唆に富んだ発言をした。様々な状況を判断してください。」 。 全国紙官邸担当記者は言う。 「岸田首相はどちらかというと表情が少ない人で、記者会見でも決まったセリフしか言わないのが基本パターン。 こんな首相は初めてで、本気で解散に意欲を燃やしているのではないかとの憶測が一気に高まった。」 わざわざ党前に姿を現し、「茂木敏充幹事長に不信任案の即時否決(=解散反対)を指示した」と主張した。 嵐のような暴風から一転、しっかりとした静けさになりました。